アート合宿をやります。
ただ、”アート合宿”って言っても、合宿でやることは「絵を描くこと」「絵がうまくなること」ではないんですね。じゃあ、何のためにやるかって言うと、その人の奥底に眠っている個性を解放するためです。
個性を解放するとはどういうことか?
ぼくはこれまで社会人に出てから14年で、3000人を超える人にコンサルティングをしていきました。会社員、フリーランス、経営者、主婦、ニート、学生。対象はバラバラですが、いつどんな相談に乗るときでも一貫して大事にした信念のようなものがあります。
「その人の個性が最大限に活かされること以上に大事なことなど何もない」
この価値観がぼくの原動力です。先週3日連続メルマガで、ぼくが人のプロデュースをやるときには、どんなことを大事にし、具体的にどんな手順や方法で関わるのかについて、事例を紹介しました。すべての事例に共通してたのは、「LIFE>BUSIESSS」っていうのがポリシーでしたよね。ここで言うLIFEというのは、個性のことなんですね。ぼくの手法は、その人が「一番満たしたい執着」の上にビジネスを構築することですが、「その人が何に対してどんな執着を持ってるのか?」の答えこそが、個性なんですね。
多くの人が、自分の強みや天才性を知りたい。それらを活かして「自分だからこそできること」を仕事にしたい。そう願っています。でも、強みよりも大事なことがあるんですね。
それについては、元旦のメルマガで「さかなクンの事例」を取り上げたときに書きましたが、見てない人もいるかもしれないので引用しますね。
5年前にホンモノ経営塾をやっていた頃は、「強み」こそ鍵だと思っていいました。強みで弱みをカバーできたら上に書いたような働き方ができると。長所進展の方が絶対的にストレスが少ないし、短期間で成果があがりやすいからです。
2022年1月1日のメルマガ「今年の目標」より転記
ただ、天才研究をするうちに考え方が変わりました。強みを知って活かすだけだと不十分だと。その理由は、強みは単なる「乗り物」でしかないと気づいたからです。いくら高性能な乗り物があっても、燃料がないと動きません。じゃあ、人にとっての燃料が何かっていうと、何かをやりたいっていう「動機」です。その動機という燃料の中でも一番パワフルなのが、「執着」です
天才の研究を始めた当初から、天才の正体は過集中であることはわかっていました。でも、「何が過集中を生み出すのか?」はずっとわかってなかったんですね。何かに没頭できるかどうか自体が先天的な性質なのかと思っていました。でも、いろんな人を調べていく中で、過集中になる背景には満たしたい「執着」があることがわかったんですね。
自分の執着への理解が深まることこそが、自分の強みや天才性を発揮するための鍵なんですね。つまり、自分の好き嫌い、自分が大事にしたいものが明確になることで、初めて眠ってる「個性が解放される」わけですね。
キアラのようなが覚醒の起こる場を作りたい
個性が初めて解放されたタイミングを、「覚醒した」と表現するなら一番位メージがつきやすいのは、やっぱり映画『グレイテスト・ショーマン』の主題歌『This is me』をリハーサルで歌ったときの、この”キアラの変化”じゃないでしょうか。
みんな見たことがあると思いますが、5分弱のこの動画です。
ぼくが、プロデュースという関わり方によって、キアラに起こったような変化を関わる人の中から引き出したいと思って、ずっとこの仕事をしてきました。
では、どうすれば「覚醒=個性の解放」を促進できるか?
それについては去年この記事に書きました。↓
「覚醒が起こるメカニズム」について詳しく知りたい方は、上の記事を読んでもらったらいいんですが、一言でポイントを表すなら、「何をやってもいいと信じられる”安心できる場”×勇気を持って一歩を踏み出すための”触媒的存在”」です。
なので、この覚醒が起こりやすくなる磁場を作ってみたい。その実践が、今回、ぼくが主催として初めて開催する「その人の奥底に眠る”個性を解放する”超自由なアート合宿」です。そのときになんで、絵を描くというツールを使うかっていうと、他の表現方法より自由な精神を取り戻しやすいからです。例えば文章を書くってことだと難しくなっちゃいますからね。
合宿をメインでリードする画家の峻ちゃんについて
ぼくは主催ではありますが、この合宿という場をメインでリードするのは、画家の峻ちゃん(中村峻介)です(以前「第1回置き去りにしちゃってすみません」にゲストとして登壇してもらった人です)。
峻ちゃんのポートフォリオはここから見れます。
ぼくが峻ちゃんのことを初めて知ってポートフォリオを見たときに、個人的にいいなーと思ったのは、いろんな画風の絵があることです。会うまでは、そこにはどんな理由があるのかはわかってなかったですが….
で、今回の合宿は、そんな俊ちゃんにぼくが、「人を集めるから一緒にアート合宿をやってみようよ」と誘ったのは、ぼくが参加者とし2020年12月末に初めて参加させてもらったアート合宿(ワークショップ)に感動したからです。何に感動したかっていうと、峻ちゃんはこれまで会ってきた中で稀に見るレベルで「人のことを評価しないあり方」を身につけた人だったからです。ぼくはずっとビジネス活動をやってきて、峻ちゃんはずっとアート活動をやってきて、表面的にはやっていることも歩んできた道も全然違うけど、本質的に大事にしていることや、合宿みたいな場でやろうとしていることは同じだとすぐにわかったんですね。
峻ちゃんの「評価しない、描き方を教えないあり方」が参加者にどう作用したかは、参加者が合宿の一番最初に描いた絵と合宿の最後に描いた絵を見たら一目瞭然でわかりました。来る前にくらべて、楽しそうな絵になってるんですね。でみんな本当にバラバラな画風なっていってるんですね。それはうまく描くという意識から、うまいへたなんか気にせず、描きたいことを描きたいように描く意識へと変化したからです。なので、初回に合宿に参加させてもらったときに、ぼくの中では、これは本質的な意味では、”アートの合宿”ではないなと思ったんですね。その人の個性を封じていた枷を外して、解放する合宿なんだなーと。
ただでさえパワフルに個性を解放する場として機能していたアート合宿に、個性を見抜いて解放することをビジネス界でやってきたぼくという”一種の触媒”が加わったら、どんな変化が起こるんだろう?
その答えは、今回やってみて初めてわかることです。どんな合宿にしたいのか?のイメージはありますが、合宿の中で峻ちゃんとぼくを含めたあ4人の運営メンバーの中で、ぼくはどういう役割を担い、具体的に何をするのかは決まってないです。でも、まあ、楽しみでしかないです。
参加したうちの何人かは、「あのアート合宿が、人生が大きく変わった最初の転機になった」って後で振り返るような場にできるんじゃないかと思っています。
書きたくないことはまだまだあるんですけど、論文1本分ぐらいの文量になちゃいそうなので、この辺で止めておきます。あとは、ぼくの主催ではないですが、これまでに「アート合宿」に参加したことがある天プロメンバー数人に「感想と、今から振り返ったときの合宿の意味」について聞いたので、興味がある人はそれを読んで、参加するかどうかを決めてください。
前回までのアート合宿に参加した人に感想を聞いてみた
長谷部晶子さんの感想
ただ「自分のために描く」自分の内的動機に準じた3日間。
そして、それを当たり前のように認め、受け入れ、互いに尊重しあえる環境であったアート合宿。
盲目的に集中するだけでなく、葛藤もあり、失敗や破壊を何度も繰り返し、「どこで自分が満足するんだろう?」自問を繰り返し、始めのイメージから着地点がまるで違う世界を味わうなど、楽しくも時に苦しくも、存分に自分との対峙を味わってました。
3日間で9枚の絵。グラデーションで、オモテもウラも包含する世界が好きだなぁと再自覚。 でも、途中「自分が描く世界(テイスト)はすべて同じだ!」そう気づいて、予定調和な自分に途方もなくガッカリもしたりして。
そんなこんな創作の過程を経て、力みが消え、どうしても使えないと拒んでた色を使い、最終的には「シンプルに楽しむ!」という境地になり、不完全であっても今の自分の表現としては思い残すことなく筆を置きました。
しゅんさんから、私の作品を見てこんな言葉をもらいました。
「闇をのぞく者は、闇に見つめられている」(描きながら、描かれているものに見られてる)
作品そのものもそうですが、創作過程にも思想は反映されるんですね。
キャンバスから少し距離を置くと、みんながいて。 どこを切り取ってもじゅんぴーでどこまでも引き込まれるエモいじゅんぴーとか、いろんな挑戦して水を得た魚のようにイキイキのびのびな姿を感じるだけで思わず嬉しくなったみずきちゃんとか、こだわりの先に高貴さと深遠さを見事に解き放ってたほりゆかちゃんとか、日常をいかに丁寧に慈しんでいるのかが手にとるように窺い知れたたけちゃんとか、表現者として自分に向き合い続けることの凄みを全身で魅せてくれたゆっこちゃんとか。 何者かになろうとするのではないみんなを、チラッと感じられて。地味に喜びを噛み締めてました。
「自分のために表現する」
これが中心にあるだけで「何者にも囚われなくていい」という開放感と「どんな表現でも大丈夫」という安心感が土台に広がったんです。 アート合宿で、この感覚を味わえたことは、大きかった。
この土台のおかげで、創作過程で葛藤や戸惑い、違和感はたくさん出たけど、それ自体にためらいはなく、その声を素直に受け止めながら、左手を使ったり、目をつぶって描いたり、自分の中にない色を使ったりして集中と探求の中で、最終的にはただ純粋に、一連の過程全体を楽しんでました。全部ではないけど、上手下手を超えて「好きだな」と思える作品も描くことができた。
表現がテーマであり、自己表現が抑制的な私にとって、表現に柔軟になれそう。 そんな気配と芽生えを、持ち帰ってきました。
<分身のような作品の一部>
●最初に描いた絵:「自分の種」(最も好きなブルーの世界)
●4番目に描いた絵:「自分にはない」色味の絵、けど多くの方から「これがイメージ」と言われた絵(自分が知らない自分に気づいた、オレンジの絵)
●6番目に描いた絵:とことん葛藤して、「ダメかもしれない」を味わい、一度は全面真っ黒に。苦しんだ先に「これだ」に出会った絵
●最後に描いた絵:「ただ楽しもう!」の一心で、描いた絵(みんなからの多様で自由なフィードバックのおかげで、自分の解釈が広がった絵)
■8ヶ月経過後の振り返り
アート合宿に参加して8ヶ月が経過しました。
今、振り返っても、私にとって意義のある3日間だった。そう強く言えます。
そもそも、なぜアート合宿に参加したのか。
それは、「新しいことに挑戦をしてみたい」と思っていた自分にとって、今までの自分が選択してこなかった選択であり、直感的に「参加したい!」が最大の理由。
具体的には、こんなところに惹かれました。
・「絵を描く」スキルは関係なさそうだから、自分にとって心理的ハードルは低い。(これは、とても重要だった!)
・「私も絵を描けるんだ」って、思えるきっかけになるかもしれない。
・どっぷり内面に触れる時間をもてて、自分とじっくり向き合えそう。
・参加者が、自由でいられそう。
そして
・過去の参加者さんのレポートを読んで、その変容がどれも興味深かった。
こんな数々の要因が決め手となり、参加することになるのです。
実際に参加してみて
期待以上に、存分に打ち込める、自由度の高い環境であり、期待の中には含まれていなかった面白い仲間との出会いもありました。
時が来たら、また参加してみたい。
素直にそう思えます。
今、あの時の自分に声をかけるとすれば 「もっと自由でいいよ!」 そんな言葉をかけそうな気がしますが…
アート合宿
どんな意味や価値があったのか?
時間が経過したからこそ分かる
アート合宿をきっかけに変化したことや小さな気づきです。
① 強い観念(思い込み)から解放された。
(=自分や世界を表現する手段のひとつとして、絵を迎え入れることができるようになった。)
そもそも絵を描くことが日常の中になく、絵に対する造詣が深いわけでもない。むしろ、学生時代は、美術や絵を描くことに対して、苦手意識があったタイプ。 (小学生の頃、写生が苦手で、”正確”に書けないもんだから「美術や絵を描くことは、自分の人生には縁がないこと」という強い思い込みの中で、長年生きてきました)
このアート合宿では、
優もなければ劣もない。
勝も負もない。
正も悪もない。
自分の声に、ただ準じる。
それを許し許される環境であり、それがひとつの正義。
その一点さえ曇らなければ
どれだけ時間がかかっても良くて、入り口と出口が違ってても全然良い。 自分との対話が続いたり、ひたすら無になる時間だってある。
違和感も、葛藤も、もどかしさも、喜びも、楽しみも、感じながら、心と筆を動かしていく。
自分の人生の中で体感する機微や喜怒哀楽、思考が、キャンバスの上に運ばれていく。
その連続(=表現)が、結果、絵になっているんだと。
そんな気づきがありました。
正確、とか。上手下手、とかいう前に
「まず最初は、自分の声に準じていいんだよ」ということを身をもって体感できた体験。
アート合宿を通して、自分の幅が広がったとまでは思わないけど「絵を描くことは、自分の人生に縁がない」なんて頑なに思う必要はない。 描きたい時は、描けばいい。 描きたくなければ、描かなければいい。
そんなある種の身軽さを、根底に携えることができるようになりました。
そして、この思い込みの解放は、絵だけでなく人生全般にも置き換えられることだとも思えています。
② 違和感や不完全さに対して寛容になった。
イメージを表現できないもどかしさや心地悪さ
描いているうちにわき起こる自分が見たくない自分や歪んだ自己像
触れたくないものにも触れる瞬間
創作過程において
そんなモヤモヤに出会ったりもしました。
ただ、逆も然りで
自分が知らない自分に気付ける嬉しさ
イメージが形になり、作品を育てていると感じられる喜び
もちろん、ありました。
この中で特に、自分の基準が厳しくなりがちなのが、違和感や不完全さ、でした。
違和感は、目を瞑って見るのをやめておこう。
不完全さは、完全がいいから不完全さを消してしまおう。
見ない方が楽だったり、向き合うとドツボにはまる可能性だって分かってるけど、完全に無視するよりは、尊重して、それらもひっくるめる方が、作品に奥行きを持たせるんだなということを、作品づくりを通して体感しました。
これは、人生や仕事においても一緒。 違和感を大切にし、完全を追求する中にある不完全さを面白がる。その片鱗に気づけた機会でもありました。
③ 潜在意識(invisible)が絵(visible)に描かれていた。
(=そして、絵に描いたことが、数ヶ月後現実となった。)
私は、決して特別な霊性の才能があったり、予知能力が高い訳ではありません。
ただの偶然でしょうか。
アート合宿の2ヶ月後、自分の身に起きることを予知するかのような絵を数枚描いてました。
融合、誕生、はじまり、光…
そんな絵です。
自分が行ったことと言えば、
自分が大いに感じることを許される環境で、自分が感じたことをキャンバスにのせる。
実に、シンプルなこと。ただ、それだけです。
数ヶ月経った今も、部屋に飾ってある絵を見るたびに、不思議な気持ちになります。
きっと、互いの存在を尊重し合う人たちの集いの中で、裁量権が自分にあり、のびのびと過ごせるあの環境(アート合宿)だったからこそ、「自分では気付いていない自分」がわき起こってきたのではないかと、そんな風に思えてならないのです。
アート合宿は非日常空間ですが、日常の延長戦上。そして、過去と未来の自分の心に触れていく。時空を超えて存在しているのかなと思えます。
自分を見つけにいってもいいし、あえて探さなくてもいい。
自分を開いてもいいし、閉じてもいい。
描く時間だけじゃなくて、描く以外の時間も含めて、全ては、自分に委ねられる。
誰にはばかることなくそんな時間がもてるアート合宿は、ある種の至福の時間でもありました。
それ以外の感想は、明日以降にアップしますね!
アート合宿の詳細&申込について
で、ある程度の人数を1/21(金)にホテルに伝えないといけない関係で、一次先行募集は1/20(木)の24時までにしたいと思います。期限が短い代わりに、”超早割”っていう格安のプランを設けたので、そこは直感で決めてくださいませ!
詳細と感想は、下記に書いておくので、興味がある人は読み進めてくださいね。
【開催日時】
開始:2022年3月25日(金) 15:00
終了:2022年3月28日(月) 16:00
このタイミングで参加したいけど、どうしても日程が合わないという場合は、ぼくの主催ではないですが、峻ちゃんとゆっこによる2泊3日verのアート合宿が3/29(火)~3/31(木)にて開催されるので、こちらもご覧になった上で検討してみてください。
【開催場所】
清泉寮
山梨県北杜市高根町清里3545
https://www.seisenryo.jp/index.html
▼アクセス
https://www.seisenryo.jp/access.html
※新宿からの直通バスは現在休便中のため、電車または車での移動になるかと思います
【定員】
30名(先着順)
【参加費用】
料金:220,000円(税込)
早割(3/6までの申込限定):165,000円(税込)
※上記金額には、宿泊費、食事、プログラム費用、画材一式が含まれます
【お支払い方法】
振込一括、カード一括、カード分割
※お申し込みいただいた方にお振込先をご連絡いたします
【申込方法】
※次回の開催に興味がある方はこちらからフォームにご登録ください。
お申し込みフォームからお申し込みください
【申込締め切り】
定員が埋まり次第申し込み締め切りとなります
【プログラムについて】
<主催メンバーの1人ゆっこの紹介文から拝借>
私たちのプログラムの特徴として「即興性の高さ」があります。
当日の主催者の状態、当日の参加者みなさんの状態や息づかいに応じて、プログラムは柔軟に変化します。もちろん我々の方で事前の計画を立てて臨みまずが、状況によってそのプログラムをいとも簡単に手放してしまうことが往々に発生します。
この場所は、絵を描く「スキル」についてはほとんど教えません。
その人の中に既にあるものに触れ、感じ、それが表現されることを目撃しあいます。
個々人の才能が発露されることに対して、主催者側が必要な『環境とプログラム』を準備し、迎え入れます。「先生と生徒」という関係を私たちは望んでおらず、互いに刺激を受け合いながら、全員が場づくりの主催者、というスタンスです。
ゆえに、「何をするか」について確約はしかねますが、過去に参加した方の体験記を記載します。この体験記をご覧いただくことで我々の場の一端をイメージいただけるかと思います。どうぞ、ご参考ください。
最後にぼくが初めてワークショップに参加したときの感想もちらっと置いておきます。
「自由に絵を描くワークショップに参加したらすごかった」https://mailchi.mp/honnmono.com/au3vtgky3p?fbclid=IwAR3WHimGPIhK3W-4mBOCoxrP6VCrlVIIHMpyZsRnwof6tc8lEzltaEUXrbw
感想追加しました!
堀井由香さんの感想
▼アート合宿参加後のメモ
(誰にも見せるつもりなかったもの)*そのまま転記します。
”尊い。感性を感性で響き合わせる営み。贅沢な時間、豊かな時間、感性を全開できる時間。心が満たされる。自分の感性に没頭できる”
“綺麗なものを綺麗と表現すること、口に出すことそれがいかに尊いか。美しい、綺麗、素晴らしい、感動した、心を動かされた、それを素直に表現できる口にできることの幸せ。自分の中から湧き出る感情や感覚を声に出せること、外に出せることが、どれだけ幸せなことなのだろう。だから伝えていこう。どんどん感じたことを伝えていこう。明日会える、次会える、次命が存在している保証はどこにもないのだから”
“自分が今まで綺麗だな、美しいなと感じ心を動いたもの(もしかしたら怖いな、嫌だなもあるかも知れない)を表現したい。自分の感性で感じたものを感性に従い出す。感性で受け取ってもらえる。私の中にある、今まで出してこなかった感覚、感性の片鱗を全て出し切って初めて、本当の表現ができる。そう感じる。それで全てが昇華される。そんな気がする”
“表現するということ、その過程には、自分と一体になることじゃないだろうか。自分自身とそれを分かち合うこと。自分自身と理解し合うこと。対話すること。それが外に出たものがアートとなる。絵でも言葉でも詩でも写真でもダンスでも演劇でも。自分自身を理解すること、愛することに他ならない。自分の中にある感性、心の機微を外に出すことにほかならない”
▼感想
「アート合宿は、絵を描く合宿なんだろうな」、そんな当たり前な情報のみ握りしめて参加した。過去に参加しているやまけんさんの感想や、主宰メンバーであるゆっこちゃんの話はなんとなく聞いていたけど、具体的にどんなプログラムがあるのかその輪郭すら全く見えていない状態だった。「皆んなわいわい絵を描くの楽しそうだな、どんなこと教えてもらえるのかな、少しは絵描くの上手くなるかな」そんな気軽な感じだった。
でも全然違った。
アート合宿は、表面的には「絵を描く」合宿だったけど、実際は絵を描いているようで「自分と向き合う」時間だった。
新緑のエネルギーに囲まれながら、時折聞こえる鶯のさえずりにその豊さを感じ、雨が連れてきた静寂の中で、自分と向き合う。そして絵の具をキャンバスにのせることでそれを表現する。ひたすらそれを繰り返す。そこには邪念がなく、ただその営みを繰り返す。
絵を描いているようで、今の自分と向き合い、自分と対話をする。その時の自分の意識がそのまま”絵”として表れる。潜在的なものも含めて。
「絵は上手な人が描くもの」
そう思っていた。でもその価値観が全然違うものとなっていた。絵は上手いとか下手とかそんなことではなく、ただ描くもの。自分の中にあるものを表現するもの。ただそれだけだった。
「絵は上手くなくても、誰が描いてもいいんだ。写真を撮ったり文章を書いたりするのと同じで一つの手段なんだ。上手い下手じゃない。」 と、誰に言われたわけでもないのに、気づいたらそんな価値観へと自分の中で入れ替わっていた。
そして、絵を使って自分の感性を表現したものが、誰かの感性に響き、その人たちの感性を通して自分に戻ってくる。こんなにも尊い豊かな時間があるのを知った。 絵を描いていたはずなのに、”絵を描く”以上の全然違う何かを”体感”していた。見聞きするだけでは分からない、”体感”して初めてわかる何かを。
▼今に与えてる影響
「アート合宿は私にとってどんな意味や価値があったか?」
・自分の個性をそのまま受け止めてもらえた体験
・自分の中にあるものをそのまま出しても良いと思えた体験
を通して、
今まで否定してきた自分の個性を自分が認めてあげる第一歩となった。
それまでは、自分の「感受性の強さ」は、ビジネスでは不要なもの、邪魔なもの、余計なもの、という認識だったから。自分に誠実に偽ることなく表現した絵を、皆んなが受け止めてくれた体感があったからこそ。
生まれ持った個性は皆んな違う、自分が自分であることに許可を出せるようになる第一歩だった。この一歩がなければ、今でも私は自分の個性の一部を隠して生きていたかも知れない。このことは人生において、とても大きな意味をもたらした。ターニングポイントでもある。
渡邊美月さんの感想
▼アート合宿は私にとってどんな意味や価値があったか
表現することの葛藤と喜び、仲間の尊さを教えてくれたアート合宿でした。
私自身、アート合宿の2泊3日は純粋に楽しいだけのプロセスではなかったです。今感じていること、考えていること、今の内面の状態全部が丸裸になるような感覚があり、恥ずかしくてこんなん嫌!って葛藤する場面も多々あって。自分の世界がいかに分離しているかを思い知らされたというか、そんな時間もありました。アート合宿は自分が自分のことをどんなに嫌でも、それも含めてそのままでいいと言ってくれる場でもありました。
アート合宿で露わになったこと。それは私が、私自身をどうジャッジしているかということでした。しゅんちゃんは「小さいキャンバスにしか描けない」という私に対して「小さいキャンバスでいいから道具を変えてみて」とガイドしてくれて、筆以外の道具を使うことを勧めてくれました。それがきっかけとなり、これまでの当たり前の枠からはみ出す挑戦が出来ました。結果的にあれやこれやと色んな挑戦をした結果一貫性や世界観はまるでなく、私自身は作品に対して全然納得いかない最終日だったけれど、その過程自体をまるっと肯定してくれた場のあたたかさを感じられ、涙しました。
それは現状の自分の世界と本来ありたかった世界のギャップをありありと観るきっかけになりました。私にとっては、セラピーのような癒しの時間でした。表現する喜びは、アート合宿で出会った仲間とのグループ展で実感しました。それも含めて、アート合宿の一部だったと思っています。自分の絵が多くの人の前に出ること。その絵を欲しいと言ってくれる人が現れること。葛藤も含めていいねって言ってくれる人がいたこと。私の中では、自分の世界と新たな世界のギャップを知り、双方を統合していくことが、描くことなのかもしれません。
慣れ親しんだ世界とありたい世界をそれぞれ知ること、それをありのまま受け容れること。自分が世界の一部であるという実感を得ること。これが私にとってのアート合宿の意味であり、価値だったのかもしれないと今となって思います。
この記事も合わせてどうぞ↓
「人生初のアート展『Art is..』を終えて」
https://note.com/mizuchil0415/n/nd6d1800150ed
↑↑※特にこの記事のここが見所!
そして今回のグループ展最終日、峻介さんが来て下さって、ひとりひとりにフィードバックをしてくれました。そして私の作品たちには、こんな言葉を紡いで頂きました。(フィードバックの部分は省略)これを聴いて、泣きました。音声の録音を30回くらい聴きました。峻介さんと…
佐竹潤子さんの感想
「おかえりなさいの絵」
https://note.com/junkosatake/n/n0d64457f972a
↑↑特にこの記事のここが見所
そして3枚目(上の絵)。3枚目は、「おかえりなさいの絵」です。
1枚目と2枚目を描いて、「次に何を描こうかな?」と考えたときに「そうだ、新居に飾る絵を描いてみてもいいかもしれない。」と思いました。4月に新居が完成したんですが(引っ越しは8月の予定!)ちょうど玄関に、何か絵を飾りたいなーと思ってスペースを設けてあったのです。
本当に飾れる出来になるかどうか?はともかくとして、挑戦してみることにしました。
玄関に飾る絵は、家に帰ってきた家族をお迎えする絵。だから、家族を迎える気持ちを絵にしてみようと思いました。
すると思い出したのが、8年前に亡くなった母のこと。まだ私が実家にいたころ、学校や仕事から「ただいまー!」と帰ってくると、いつも母が迎えてくれたんです。子どもたちを迎えるときの母は…
やまけん(山田研太)が秘密の話を書く場所です。
恥ずかしい話、最近考えていること、賛否両論出て炎上するかもでSNSでは書くのをためらうこととかです。すごいおもしろい自信があるので、ぜひ一度読んでみてください!おもんなかったら、即解除してくださいw